大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

松山地方裁判所 昭和61年(ワ)169号 判決

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

理由

【事 実】

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告らに対し、それぞれ金三三〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年九月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者等

(一) 被告は、肩書地において西条中央病院(被告病院)を経営し、医療業務を営む医療法人である。

(二) 亡石丸幸(亡幸)は、昭和六〇年九月一九日、原告兼亡石丸幸訴訟承継人石丸晴規(原告晴規)と原告兼亡石丸幸訴訟承継人石丸澄子(原告澄子)夫婦の第三子として、被告病院で出生した。

2  事件の経過

(一) 原告澄子は、亡幸を妊娠したので、昭和六〇年二月二八日から被告病院産婦人科で定期的に検診を受け、分娩までの経過は順調で異常はなかつた。

(二) 原告澄子は、被告病院から分娩予定日を同年九月六日と告げられていた。そして原告澄子は、同月一七日、被告病院の安藤雅章医師(安藤医師)から予定日が過ぎているので、誘発分娩するために入院するように勧められたため、同月一八日午前九時ころ被告病院に入院した。

(三) 原告澄子は、同日午前一〇時ころ、陣痛室に入室し、分娩監視装置を着けられたそして、同日午前一〇時二〇分ころから、原告澄子に対し、毎分二〇滴の速度による点滴(プロスタルモン・Fを二アンプルとアトニンーO)により分娩誘発が開始された。同日午前一〇時二一分ころの胎児(亡幸)の心拍数は、毎分一四〇回から一六〇回であつた。

(四) 原告澄子は、点滴が開始されてからしばらくすると、身体の力が抜けていつて気の遠くなるような感じに襲われたので、看護婦を呼んで、「しんどいんです。」と訴えたところ、安藤医師が来た。同日午前一〇時三〇分ころから胎児(亡幸)の一分間当たりの心拍数が下がりはじめ、午前一〇時三二分ころには一分間当たり六〇回くらいにまで低下した。安藤医師は、原告澄子に酸素マスクを着け、呼吸指導をしたり、体位を変えたりしたが、胎児(亡幸)の心拍数は改善せず、一分間当たり五〇回から八〇回くらいの状態が続いた。

(五) 胎児(亡幸)の心拍数は、同日午前一一時二二分ころようやく一分間当たり一〇〇回くらいにまで回復し、午前一一時四〇分ころにはさらに一分間当たり一六〇回くらいにまで回復した。しかし、胎児(亡幸)の心拍数基線には細変動が少なく、同日午後〇時五〇分ころまで胎児仮死を示す状態が続いた。

(六) 同日午後五時一〇分ころ破水し、翌一九日午前二時二〇分ころ子宮口が全開となり、午前二時三四分ころ原告澄子が亡幸を娩出した。亡幸は、その際、泣き声を出さず、刺激に対する反応もなく、仮死状態で生まれた。

(七) 同日午前五時一〇分ころから亡幸に肺雑音が出始め、午前七時すぎころから心拍音が弱くなり、四肢けいれんや全身性チアノーゼが出始めた。そこで、亡幸は、同日午前七時四〇分ころ気管内挿管をされ、午前一一時二五分ころ香川県善通寺市の国立療養所香川小児病院(香川小児病院)に転送され、昭和六一年三月六日まで入院した。その後、亡幸は、しばらく自宅で療養していたが、同年四月三〇日に国立療養所愛媛病院(愛媛病院)に入院し、昭和六二年一二月一六日同病院において肺炎により死亡した。

3  亡幸の受けた傷害とその原因

(一) 原告澄子は、安藤医師から投与されたアトニンーOに対する過敏反応による一過性循環不全(ショック)に陥り、これが母体子宮胎盤血流量の急激な減少をもたらし、そのため胎児(亡幸)に急性の低酸素状態が起こつた。昭和六〇年九月一八日午前一〇時三〇分ころ胎児(亡幸)に突然出現し、午前一一時二〇分ころまでの約五〇分間続いた高度の徐脈及びその後午後〇時五〇分ころまで続いた心拍数基線の細変動が消失した状態は、右低酸素状態を示すものである。

(二) 亡幸は、右低酸素状態が続いたために低酸素性脳症(本件後遺症)を起こし、重篤な脳障害を負つて出生した。そして、亡幸は、右脳障害によりけいれん及び肺炎などを繰り返し、脳性麻痺及び点頭てんかんによる肺炎のために死亡した。

4  診療契約

原告澄子は、被告病院に入院する際、被告との間で、被告病院の産婦人科医師において善良な管理者の注意を払つて原告澄子の分娩の介助及び処置を行い、適切に分娩を遂行する旨の診療契約を締結した。

5  安藤医師らの債務不履行ないし過失

安藤医師らは、以下のとおり前記4の診療契約上の債務の本旨に反し、あるいは過失ある行為を行つた。

(一) アトニンーOの使用

安藤医師は、原告澄子にはアトニンーOの適応がなかつたので、原告澄子に対しこれを使用すべきではなかつたにもかかわらず、アトニンーOを使用した。

(1) 妊娠満期の未到来

安藤医師が原告澄子に対し分娩誘発をした昭和六〇年九月一八日は、安藤医師の診断した分娩予定日である同月六日を一二日も超過してはいたが、原告澄子は、第一子出産の際には予定日よりも二八日、また第二子の出産の際には予定日よりも一五日いずれも遅れて普通分娩により無事に出産していることから、原告澄子の妊娠週数は通常の四〇週より長く四二週程度であつたと考えられる。したがつて、右分娩誘発を行つた同月一八日であつても未だ分娩が遅れているとはいえないから、分娩誘発の適応はなかつた。

(2) 胎盤機能の不全

安藤医師が原告澄子に対し分娩誘発をした日の前日である昭和六〇年九月一七日における原告澄子のイースリースライドの測定値は、一ミリリットル当たり一〇から二〇マイクログラムであり、正常域にある。したがつて、原告澄子の胎盤に機能不全の徴候があつたとはいえないから、分娩誘発の適応はなかつた。

(二) 同時使用の禁止

プロスタグランジン製剤プロスタルモン・Fとオキシトシン製剤アトニンーOとを同時に併用して投与してはならず、かりにこれらを併用して投与する場合には、子宮の異常収縮に注意して観察を十分に行うべきである。なぜなら、プロスタルモン・FとアトニンーOとは子宮を収縮させる作用機序が異なるため、これらを併用して投与すると過強陣痛、胎児仮死などの異常を起こしやすいからである。それにもかかわらず、安藤医師は、原告澄子に対し、漫然とこれらを併用して投与した。

(三) 子宮頚管の未成熟

アトニンーOは、子宮頚管が十分に成熟していなければ、投与してはならないものである。ところが、原告澄子の子宮頚管の成熟度は、昭和六〇年九月一七日四点であり、また分娩誘発が行われた同月一八日でも一ないし五点であり、未成熟であつた。したがつて、安藤医師としては、原告澄子に対し、アトニンーOを投与してはならなかつたにもかかわらず、これを投与した。

(四) アトニンーOの点滴速度

アトニンーOの点滴は通常毎分一〇滴から始めるべきであり、それ以上の速度で始めるべきではない。それにもかかわらず、安藤医師は、原告澄子に対し毎分二〇滴から始めた

(五) 早期の帝王切開術

胎児が低酸素状態に陥り、体位変換、酸素吸入、分娩誘発剤の点滴の中止及び糖質輸液の投与などの措置をとつても胎児の状態が改善されない場合には、早急に胎児を分娩させる必要がある。その場合、急速遂娩の方法としては鉗子分娩、吸引分娩及び帝王切開術があるが、胎児の仮死状態が重度である場合や分娩第一期で子宮口全開までに時間がかかる場合には帝王切開術を行うべきである。帝王切開術は、胎児が仮死状態に陥つてから二〇分以内に行うのが理想であり、三〇分以内が望ましく、六〇分を超えると予後が悪いのでこれを超えてはならないものである。

胎児(亡幸)が仮死に陥つたのは分娩第一期で子宮口が全開になるまでにはかなりの時間がかかるときであり、また一分間当たりの心拍数が一〇〇回以下の極度の徐脈が五〇分以上続いたうえ、その後一時間三〇分心拍数基線の細変動が消失した状態が継続したのであるから、安藤医師は、胎児(亡幸)に徐脈が発生した時点で即時に経母体治療をしながら帝王切開術の準備にかかり、遅くともその一五分ないし二〇分後である昭和六〇年九月一八日午前一〇時四五分ないし五〇分ころには帝王切開術を行う決断をし、右発生後二〇分ないし四〇分ころまでには亡幸を娩出させるべきであつた。それにもかかわらず、安藤医師は、同日午前一〇時三五分ころから四〇分ころまで体位変換などを行つたが、胎児(亡幸)の除脈が一向に回復傾向を示さなかつたのに、帝王切開術を行う決断がつかず、原告澄子の側を離れて外来を担当していた吉田篤司医師(吉田医師)に相談に行つたり、午前一一時すぎころには原告澄子の膀胱内に生理的食塩水を注入するなどの措置をするのみで、帝王切開術を行わなかつた。

(六) 出生後の救急措置

亡幸は重度の脳障害を残して仮死状態で生まれてきた。したがつて、吉田医師及び安藤医師は亡幸に対し救急措置をすべきであつた。それにもかかわらず、被告病院の担当医師は、亡幸に対する気管内挿管の時期が遅れるなど救急措置が不十分であつた。

6  被告の責任

(一) 債務不履行責任

被告の履行補助者である被告病院の安藤医師及び吉田医師が、原告澄子の分娩にあたり前記5記載のとおり診療契約の債務の本旨に従つた履行をしなかつたために、亡幸に前記4(二)記載の本件後遺症を負わせて同女を死亡させたものである。したがつて、被告は原告澄子に対し、右診療契約の債務不履行による後記7記載の損害を賠償する責任を負う。

(二) 使用者責任

被告の被用者である被告病院の安藤医師及び吉田医師が、原告澄子の分娩にあたり前記5記載のとおり過失ある行為をしたために、亡幸に前記4(二)記載の本件後遺症を負わせて同女を死亡させたものである。したがつて、被告は、亡幸及び原告らに対し、不法行為による後記7記載の損害を賠償する責任を負う。

7  亡幸及び原告らの損害

(一) 亡幸の損害

(1) 逸失利益 二七〇〇万円

亡幸は、被告病院の医師の前記5記載の行為により昭和六二年一二月一六日死亡した。女子の全年齢平均年収二三〇万円に亡幸の死亡年齢二歳のホフマン係数一七・〇二四を乗じて、これから生活費三〇パーセントを控除すると二七四〇万八六四〇円となる。したがつて、亡幸は、二七〇〇万円を下らない損害を被つた。

(2) 慰謝料 二〇〇〇万円

亡幸は、被告病院の医師の前記5記載の行為により、前記4(二)記載の本件後遺症を負い、けいれんと肺炎を繰り返して死亡した。その精神的苦痛に対する慰謝料としては二〇〇〇万円が相当である。

(二) 原告らの損害

(1) 介護費用 三〇〇万円

原告らは、香川小児病院に入院していた亡幸に週二回面会に行き、その退院前の一か月半は原告澄子が付添い、また亡幸が自宅で療養していた昭和六一年三月六日から同年四月三〇日までの五五日間は一日中付きつきりで吸引や授乳などの看病をし、亡幸が同日から死亡した昭和六二年一二月一日まで入院していた受媛病院へも週二回面会に行つて看病し、原告澄子はその間ピアノの講師などの副業もできなかつた。したがつて、原告らは介護費用三〇〇万円(各一五〇万円)の損害を被つた。

(2) 慰謝料 一〇〇〇万円

原告らの前記(1)記載の看病の態様などに鑑みれば、亡幸の死亡によつて原告らが被つた精神的苦痛に対する慰謝料としては、一〇〇〇万円(各五〇〇万円)が相当である。

(3) 弁護士費用 六〇〇万円

原告らが本件訴訟の提起・遂行のために要した弁護士費用としては、六〇〇万円(各三〇〇万円)が相当である。

8  相続

亡幸は昭和六二年一二月一六日死亡し、その父母である原告晴規及び原告澄子が亡幸の権利を各二分の一ずつ相続した。

よつて、原告らは、被告に対し、前記4記載の診療契約の債務不履行あるいは使用者責任に基づく損害賠償としてそれぞれ金三三〇〇万円及びこれらに対する不法行為の日である昭和六〇年九月一九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否・反論

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2(一)及び(二)の事実はいずれも認める。

同2(三)のうち、原告澄子が昭和六〇年九月一八日午前一〇時ころ陣痛室に入室し、分娩監視装置を着けられたこと、原告澄子に対し、毎分二〇滴の速度による点滴(プロスタルモン・Fを二アンプルとアトニンーOを五単位)でもつて分娩誘発が開始されたことはいずれも認めるが、その余の事実は否認する。原告澄子に対し、点滴により分娩誘発が開始されたのは、同日午前一〇時二五分ころからである。

同2(四)の事実のうち、原告澄子が「しんどいんです。」と訴えたこと、同日午前一〇時三〇分ころから胎児(亡幸)の一分間当たりの心拍数が下がりはじめ、午前一〇時三二分ころには一分間当たり六〇回くらいにまで低下したこと、安藤医師が原告澄子に酸素マスクを着け、呼吸指導をしたり、体位を変えたりしたこと、それにもかかわらず、胎児(亡幸)の心拍数が改善せず、その心拍数が一分間当たり五〇回から八〇回くらいの状態が続いたことはいずれも認めるが、その余は知らない。安藤医師は、さらにブドウ糖液、アルカリ剤及び子宮収縮抑制剤の投与などの措置を採つたが効果が現れなかつたので、産婦人科医長である吉田医師に報告して帝王切開術の用意をしてもらつた。

同2(五)の事実は否認する。安藤医師が、さらに体位変換、アルカリ剤の投与などの措置を続けたところ、胎児(亡幸)の心拍数は、同日午前一一時ころから回復が始まり、午前一一時二〇分ころには一分間当たり一二〇回以上と正常に回復して、その後徐脈の出現もみられなくなり、午前一一時三〇分安藤医師がさらに原告澄子の膀胱内に生理的食塩水三五〇ミリリットルを注入し、超音波検査や内診によつても特に異常な所見が認められなかつたので、帝王切開術の実施を見合わせて、経過観察を続けた。同日午後一時五〇分ころには、胎児(亡幸)の基準心拍数が毎分一七〇回であり、細変動も認められた。

同2(六)のうち、原告澄子が翌一九日午前二時三四分ころ亡幸を娩出したことは認めるが、その余の事実は否認する。同月一八日午後五時三〇分ころ原告澄子に軽度の子宮収縮があり、午後六時二〇分ころ陣痛が始まり、午後七時一〇分ころ自然破水した。翌一九日午前一時三〇分ころそれまで軽度で不規則であつた陣痛が徐々に規制的で強くなつた。亡幸のアプガールスコアは、娩出時に六点、二分後には八点であつたが、念のために保育器に収容した。

同2(七)のうち、同日午前七時すぎころから亡幸に四肢けいれんや全身性チアノーゼが出はじめたこと、亡幸を香川小児病院に転送したことはいずれも認めるが、午前五時一〇分ころから亡幸に肺雑音が出はじめ、午前七時すぎころから心拍音が弱くなつたこと、亡幸に午前七時四〇分ころ気管内挿管をしたことはいずれも否認し、その余の事実は知らない。亡幸は、同日午前五時ころまで全身色良好であつたが、午前七時ころ三八・八度の発熱とともに右チアノーゼ、呼吸障害及びけいれんが発現したので、酸素フラッシュを施したところ、午前七時三〇分ころ右チアノーゼは軽快し、右気管内挿管及び五パーセントブドウ糖液の点滴を施し、午後九時一五分にはメイロン五ミリリットルと注射内蒸留水五ミリリットルを混ぜた注射をしたため、午前九時二〇分亡幸の右状態も回復して全身良好となつた。

3  同3は争う。

同3(一)のうち、原告澄子が安藤医師から投与されたアトニンーOに対する過敏反応による一過性循環不全(ショック)に陥つたこと、これが母体子宮胎盤血流量の急激な減少をもたらし、そのため胎児(亡幸)に急性の低酸素状態が起こつたことはいずれも否認する。被告病院においては、分娩誘導の開始にあたつて持続注入ポンプにセットする際母液(アクチット)のみを使用して注入速度をセットし、その後母液のボトル内に分娩誘発剤を混じているので、点滴のはじめは分娩誘発剤を混じる前の点滴ルート内にあつた母液のみが母体内に注入され、それから後に希釈された分娩誘発剤が母体内に注入されることになるところ、母液のボトル内にアトニンーOを混じてから四ないし五分後に胎児(亡幸に徐脈が出現しており、この時間内にアトニンーOが母体内に注入されたとしても極めて微量であるから、アトニンーOが原因となつて右徐脈が出現したとは考えがたい。原告澄子の胎盤からは臍帯付着部付近に四センチメートル×四センチメートルの絨毛血管腫があり、右絨毛血管腫による臍帯の圧迫が胎児(亡幸)に出現した徐脈の原因とも考えられるし、また、絨毛血管腫がある場合には種々の新生児の異常が合併することがあることからその他異常体質などの不測の要因も考えられ、さらにそれらの諸要因が複合したことも考えられる。

同3(二)のうち、亡幸が死亡したことは認めるが、低酸素状態が続いたために亡幸が低酸素性脳症を起こし、重篤な脳障害を負つて出生したことは否認し、その余は知らない胎児(亡幸)の徐脈は短時間で回復して正常な心拍数に戻つており、その後の心拍数に異常はなく、細変動も十分であり、娩出時のアプガールスコアも特に悪いものでもないから、亡幸が分娩経過中に低酸素性脳症を起こしたと考えることはできない。

4  同4は争う。

5  同5は争う。

同5(一)のうち、安藤医師が原告澄子に対しアトニンーOを使用すべきではなかつたとの主張は否認する。以下のとおりアトニンーOの右使用は問題なく、右医師に過失ないし債務不履行はない。胎児(亡幸)の徐脈の原因がアトニンーOであつたとしても、アトニンーOに含まれているオキシトシンの過敏症は極めて稀にしか発生せず、そのため過敏テストも一般には行われていないから、右医師がアトニンーOが右徐脈の原因であつたことを予見することは極めて困難であり、不可抗力というべきである。

同5(一)(1)のうち、安藤医師が原告澄子の分娩予定日を昭和六〇年九月六日と診断したこと、安藤医師が右分娩予定日を一二日も超過した同月一八日原告澄子に対し分娩誘発をしたことはいずれも認め、原告澄子が第一子出産の際には予定日よりも二八日、また第二子の出産の際には予定日よりも一五日いずれも遅れて普通分娩により無事に出産していることは知らず、原告澄子の妊娠週数が通常の四〇週より長く四二週程度であつたことは否認し、その余は争う。原告澄子からの問診によれば、最終月経が昭和五九年二月二八日、原告澄子の月経周期が三〇日型であり、これにネーゲル法を適用する方法、定期妊婦健康診査、超音波検査などによる胎児計測による胎児の発育状況から、原告澄子の分娩予定日は昭和六〇年九月六日と診断した。原告澄子が第一子及び第二子の出産の際に分娩予定日よりいずれも遅れて出産したことをもつて原告澄子の妊娠週数が通常より長く四二週程度であつたとの主張は医学的根拠のないものである。

同5(一)(2)の事実のうち、昭和六〇年九月一七日における原告澄子のイースリースライドの測定値が一ミリリットル当たり一〇から二〇マイクログラムであつたことは認めるが、その値が正常域にあり、したがつて、原告澄子の胎盤に機能不全の徴候があつたとはいえないことは否認し、その余は争う。安藤医師が原告澄子に対し行つた胎盤機能検査(尿中エストテック検査)によれば、同月一三日が一ミリリットル当たり二〇マイクログラム以上、同月一七日が一ミリリットル当たり一〇ないし二〇マイクログラムと警戒域からさらに減少する傾向がみられたこと、同日の超音波検査によれば、胎盤の強い石灰化を疑わせる所見が認められ(分娩後の病理検査において、胎盤の石灰沈着・変性・壊死が確認された。)たことを総合判断すると、原告澄子が胎盤機能不全に至る可能性は高く、分娩誘発の適応があつた。

同5(二)は争う。プロスタルモン・FとアトニンーOとを同時に併用して投与することも許されている。また、安藤医師は、アトニンーOを使用するにあたり、分娩監視装置などを使用して異常収縮に注意し、観察を十分に行いながら慎重に投与したものである。

同5(三)のうち、原告澄子の子宮頚管が昭和六〇年九月一八日の時点において未成熟であつたことは否認し、安藤医師が原告澄子に対しアトニンーOを投与してはならなかつたとの主張は争う。

同5(四)のうち、安藤医師が原告澄子に対しアトニンーOの点滴を毎分二〇滴の速度から始めたことは認めるが、その余は争う。アトニンーOの点滴静脈注入法は、一般にブドウ糖液等五〇〇ミリリットルにアトニンーO五ないし一〇単位を混じ、はじめは毎分一〇ないし二〇滴程度の速度より開始するものとされており、二〇滴から始めても速すぎることはない。

同5(五)のうち、安藤医師が昭和六〇年九月一八日午前一〇時四五分ないし五〇分ころには帝王切開術を行う決断をし、午前一〇時五〇分ないし午前一一時一〇分ころまでには亡幸を娩出させるべきであつたとの主張は争う。胎児(亡幸)の徐脈は、同日午前一一時から回復を始め、午前一一時一八分ころには細変動も回復し始め、午前一一時二二分ころには胎児の心拍数は正常域まで回復し、経膣分娩が可能な状態となつたため、帝王切開をする必要がなくなつたのである。安藤医師は胎児に徐脈が出現した原因が診断できなかつたが、このような場合、徐脈の自然な回復を期待するので、帝王切開を決断する時間が少し遅くなり、また、帝王切開は腹部の大きな切開傷、かなりの出血、開腹による諸器管の損傷など副作用が大きいこと、原告澄子が経産婦で、前二回の出産が正常な経膣分娩であつたことなどから、できるだけ帝王切開をせずに経膣分娩によるべきであるとして、帝王切開を決断する時間が少し遅くなることはやむを得ないというべきである。

同5(六)は否認する。吉田医師及び安藤医師が亡幸に対し行つた措置は適切なものであり、気管内挿管の時期が遅れるなど救急措置が不十分であつた事実はない。すなわち、娩出した一分後の亡幸のアプガールスコアは六点で軽度の仮死状態であつたが、二分後には八点となり正常な状態に回復した。しかし、念のために亡幸を保育器に収容し、体温の保持に努めながら、酸素を毎分三リットル流しながら経過観察をしていたところ、その時点では、呼吸は正常で、チアノーゼも認められず、全身の皮膚の色も良好であり、補助呼吸の必要性は認められなかつた。ところが、昭和六〇年九月一九日午前七時すぎころから亡幸の肺雑音が増強し、体温が三八・八度と上昇し、四肢けいれんや全身性チアノーゼが出現した。

そこで、保育器内に酸素フラッシュを施し、マスクにて補助呼吸を行つた結果、徐々に右チアノーゼは軽快したが、十分でないため気管内挿管を行つたところ、全身色が良好となつたので、その後血管確保を行つた。被告病院が同日午前九時一〇分亡幸に対し行つた血液ガス分析では低酸素状態を示すアシドーシスの所見は認められなかつた。念のため、同日午前一〇時五〇分亡幸を小児科専門の香川小児病院に転送した。

6  同6は争う。殊に、同5(五)の債務不履行又は過失と亡幸の死亡との間の因果関係を認めることはできない。なぜなら、胎児(亡幸)の徐脈が出現してから五ないし一〇分後に帝王切開の施行を決断したとしても、母体(原告澄子)の全身状態を調べ、手術の準備を行い、原告澄子に麻酔を施し、執刀して亡幸を娩出するまでには、右決断後少なくとも二〇ないし三〇分は必要であるから、胎児(亡幸)が低酸素状態に陥つてから娩出されるまで少なくとも二五分ないし四〇分の時間を要することとなり、この間胎児(亡幸)に高度な低酸素状態が続いているとすれば、胎児(亡幸)の脳に不可逆的な障害が起こる可能性が否定できないからである。

7  同7は争う。

8  同8の事実は認める。

三  原告の再反論

1  胎児(亡幸)に出現した徐脈の原因について

原告澄子の胎盤に存した絨毛血管腫は、右徐脈の原因ではない。かりに、絨毛血管腫が右徐脈の出現に何らかの関与をしていたとしても、安藤医師が原告澄子に対し緊急に帝王切開をすべきであつたことに変わりはないので、被告の責任に消長は来たさない。

2  安藤医師が早期に帝王切開をすべきであつたことについて

(一) 胎児に徐脈が出現してから三〇分以内に胎児を娩出させることは十分可能でありそれが通常の医師に要求される医療水準となつているというべきである。

(二) 胎児仮死の治療は、原則として急速遂娩であり、体位変換、酸素吸入及び陣痛抑制などの経母体治療は急速遂娩までの一時的、補助的治療であるに過ぎず、胎児仮死を示す高度の徐脈を認めたならば、迅速に急速遂娩の準備をしつつ、右経母体治療を行い、たとえ右経母体治療により胎児の心拍数が改善されたとしても、再発の可能性と低酸素症による影響を考えて、急速遂娩をすべきである。ことに、本件においては、胎児(亡幸)の心拍数が回復した後も胎児心拍数基線の細変動が消失した遅発一過性徐脈の状態にあり、この状態も胎児に悪影響を与えていると考えるべきであるから、急速遂娩すべき状態である。

3  帝王切開をしなかつた過失と亡幸の低酸素性脳症との間の因果関係について

(一) 胎児(亡幸)に徐脈が出現した後二五ないし四〇分で胎児(亡幸)が娩出されていれば、全く後遺症を残さない健常児として出生することも十分に期待できた。

(二) 本来なすべき帝王切開を行わなかつた被告が、右行為を行つたとしても後遺症はやはり残つたかもしれないとの仮定の主張をして免責あるいは責任の軽減を図ろうとすることは許されないというべきである。

第三  証拠《略》

【理 由】

一  争いのない事実

請求原因1(当事者等)、同2(一)及び(二)並びに同8(相続)の各事実、原告澄子が昭和六〇年九月一八日午前一〇時ころ陣痛室に入室し、分娩監視装置を着けられたこと、原告澄子に対し、毎分二〇滴の速度による点滴(プロスタルモン・Fを二アンプルとアトニンーOを五単位)により分娩誘発が開始されたこと、原告澄子が「しんどいんです」と訴えたこと、午前一〇時三〇分ころから胎児(亡幸)の心拍数が下がりはじめ、午前一〇時三二分ころには一分間当たり六〇回くらいにまで低下したこと、安藤医師が原告澄子に酸素マスクを着け、呼吸指導をしたり、体位を変えたりしたこと、それにもかかわらず胎児(亡幸)の心拍数が改善せず、一分間当たり五〇回から八〇回くらいの状態が続いたこと、原告澄子が翌一九日午前二時三四分ころ亡幸を娩出したこと、午前七時すぎころから亡幸に四肢けいれんや全身性チアノーゼが出始めたこと、亡幸を香川小児病院に転送したこと、同月一七日における原告澄子のイースリースライドの測定値が一ミリリットル当たり一〇ないし二〇マイクログラムであつたことはいずれも当事者間に争いがない。

二  事実の経過

前記争いのない事実、《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

1  被告病院は、産婦人科を含む被告が設置した総合病院であり、昭和六〇年当時吉田医師が産婦人科医長、安藤医師が医員として、右両医師が交替で産婦人科の外来患者と入院患者とを診察していた。

2  原告澄子は原告晴規との間の子である長子幸恵を昭和五三年八月二二日に、長男裕規を昭和五六年一一月一七日にいずれも正常な分娩で出産し、さらに亡幸を懐妊した。そこで、原告澄子は、昭和六〇年二月二八日初めて被告病院で受診し、亡幸を懐妊したとの診断を受け、月経周期が三〇日型の規則的なものであつたこと及び最終月経開始日が昭和五九年一一月三〇日であつたこと並びに超音波を用いた胎児計測によれば、胎児(亡幸)の頭殿長値(CRL)が五九ミリメートルであつたことから、分娩予定日を昭和六〇年九月六日と診断された。

3  原告澄子は、その後、同年四月一九日、五月二三日、六月二〇日、七月一三日、八月一日、二〇日、三〇日と被告病院で受診したが、同年二月二八日及び五月二三日に切迫流産、六月二〇日に貧血並びに八月三〇日に子宮頚管熟化不全(子宮の入口が固くなる状態)となつた以外は特に異常もなく(九月一〇日行われたノンストレステストの反応性も良かつた。)、右疾病もその後治療により治癒した。

ところが、原告澄子には分娩予定日を過ぎても陣痛が発来せず、イースリースライド(尿中エストロゲン簡易測定試薬)の測定値が同年九月六日及び一〇日にいずれも一ミリリットル当たり一〇マイクログラム以上二〇マイクログラム未満であり、同月一三日には一ミリリットル当たり二〇マイクログラム以上となつたのが、同月一七日が一ミリリットル当たり一〇マイクログラム以上二〇マイクログラム未満となり、また、同月六日の超音波画像により胎盤の形態学的変化を観察する検査によれば胎盤成熟度がグレード3、同月一七日には胎盤の石灰化が認められ、その際の内診所見の判定が四点(硬度、展退、位置及び開大がいずれも一点、固定が〇点)であつた。そこで、安藤医師は、すでに分娩予定日が過ぎており、イースリースライドの測定値及び胎盤成熟度から胎盤の過熟な兆候が認められるため、自然に陣痛の発来を待つているうちに胎盤が機能不全に陥つて経膣分娩が困難になるおそれがあると判断し、原告澄子に対し分娩を誘発することを勧め、その同意を得、翌日原告澄子が被告病院に入院して分娩を誘発することとなつた。

4  原告澄子は、同月一八日被告病院の外来で安藤医師の診察を受け、午前一〇時ころ被告病院に入院し、その際の看護婦による内診所見の判定が一ないし三点(硬度が一点、位置及び固定がいずれも〇点、展退及び開大が記載なし)であり、医師の内診によれば、子宮膣部は二指通じある程度軟らかく、展退が三分の一程度、児頭の可動性がない状態であつた。原告澄子は、病室で被告病院の看護婦から浣腸などの分娩のための措置を受けたのち、陣痛室へ入室した。

被告病院の岡本助産婦は、安藤医師の指示で、五〇〇ミリリットル入りアクチット・ボトルに五パーセントブドウ糖を五〇〇ミリリットル入れ、原告澄子の静脈に繋がれているチューブに繋ぎ、一分当たり二〇滴の速度で点滴を始め、右点滴が原告澄子の静脈内に入つたことを確認した後、同日午前一〇時二〇ないし二一分ころ、右ボトルにオキシトシン製剤であるアトニンーOを一アンプル(五単位)、プロスタグランディンF2α製剤であるプロスタルモン・Fを二アンプル(合計二〇〇〇ガンマ)を混入した。

5  原告澄子は、同日午前一〇時三〇分ころ、急に身体から力が抜けるような感じを覚え、気が遠くなりそうになり、息苦しくなつて、岡本助産婦に対し「しんどい。」と愁訴した。また、そのころから胎児(亡幸)の心拍数が下がり一分間当たり六〇ないし八〇回と高度の胎児徐脈(胎児仮死)を示す状態となつた。そこで、岡本助産婦は、直ちに右点滴を止めるとともに、安藤医師に右状況を連絡した。安藤医師は、同日午前一一時三五分ころ右連絡を受けて直ちに陣痛室に赴き、原告澄子の右愁訴から血圧を測定した(最高血圧一〇〇ミリグラム、最低血圧六〇ミリグラム)が、血圧の低下及び頻脈は認められなかつたので、仰臥位低血圧症候郡(産婦が仰臥位をとつていることにより子宮に血管が圧迫されて一時的に母体が低血圧を起こす。)や臍帯による圧迫などの原因を考え、原告澄子の体位を変換させ、原告澄子に酸素一分当たり五リットルを吸入させ、点滴を五パーセントブドウ糖液五〇〇ミリリットルのものに変え、ブドウ糖液二〇ミリリットルにメイロン(アルカリ剤)一〇ミリリットルを混入したもの並びに子宮の収縮を和らげるブリカニール一アンプル(生理的食塩水二〇ミリリットルに混入して)及びマグネゾール一アンプルをそれぞれ静脈に注射し、その後、点滴をさらに五パーセントブドウ糖液五〇〇ミリリットルにブリカニール四アンプルを混入したものに変え(その後さらに五パーセントブドウ糖液五〇〇ミリリットルのみのものに変えた。)、プレマリン二〇グラム、ブドウ糖液二〇ミリリットルにメイロン一〇ミリリットルを混入したものを静脈に注射し、陣痛の軽減を図るために原告澄子の膀胱内に三五〇ミリリットルの生理的食塩水を注入した。原告澄子は右酸素吸入後一五分ほどで右状態から回復したが、胎児(亡幸)の心拍数は回復しなかつたため、安藤医師は、急速遂娩などの措置を採る必要もありうると考え、同日午前一〇時四五分ころ、当日外来患者の診察をしていた吉田医師に報告を行つた。そこで、吉田医師は安藤医師とともに、原告澄子のもとを訪れて診察したところ、このままの容体では帝王切開をする必要があると判断し、原告澄子の容体を観察しつつ帝王切開の準備をした。

6  ところが、同日午前一一時一分ころから胎児(亡幸)の心拍数が回復の兆候を示し始めた。そこで、吉田医師と安藤医師は、今後右回復傾向が悪化するなどすれば直ちに帝王切開する準備をしつつ、右回復の推移を経過観察することとした。同日午前一一時一五ないし二〇分には帝王切開の準備ができたが、他方、胎児(亡幸)の心拍数が徐々に回復し、午前一一時五ないし六分ころに一分間当たり一〇〇回を超え、その後しばらく一分間当たり一〇〇回を上下したのち、午前一一時二一分ころからは一分間当たり一〇〇回を下ることはなくなり、午前一一時二五分ころに一分間当たり一二〇回を超え、午前一一時三一分ころ以降は一分間当たり一四〇ないし一六〇回を維持するようになつたが、午後〇時五五分ころまでは心拍数基線の細変動の少ない状態が続き、午後一時三五分ころ以降はむしろ頻脈が続いた。安藤医師は、右経過を観察し、胎児(亡幸)の容体が回復したので帝王切開をする必要はないと判断し、自然分娩を行うこととした。なお、安藤医師も吉田医師も右徐脈の原因についてはわからないままであつた。

7  同日午後七時一〇分自然破水となり、翌一九日午前〇時〇分初発陣痛が発来し、午前二時二〇分子宮口が全開大となり、午前二時三〇分に排臨が始まり、午前二時三三分に発露となり、午前二時三四分頭位分娩により亡幸を娩出した。亡幸は、出産時身長五四センチメートル、体重三五〇〇グラム、胸囲三六センチメートル、頭位三五センチメートルであつた。亡幸のアプガール・スコアは、娩出一分後が六点(心拍数二点、呼吸、筋緊張、反射及び色調各一点)と軽度の仮死であつたが、二分後には八点(心拍数及び色調各二点、呼吸一点、筋緊張及び反射は合わせて三点)となつた。亡幸は、同日午前三時新生児室に入室して保育器に収容し、その時の体温が三五・五度、運動刺激に対する反応及び啼泣がいずれもなく、呻吟があつたが、全身の色は良好で、呼吸障害もなかつた。被告病院は、同日午前三時四〇分から亡幸に対し酸素三リットルを流し始めたが、その時の亡幸の体温が三七度となり、その呼吸が浅速気味になつたが、けいれん、羊水の吐出及び流涎はいずれもなかつた。同日午前五時、亡幸の体温が三七・一度となり、心拍数及び呼吸が速くなつたが、呼吸障害はなく、胎便があり、また足底部に刺激による浮腫が生じた。同日午前五時三〇分、亡幸に肺雑音が出現したので、被告病院は亡幸に対し吸引を行つたところ、羊水約二シーシーを吸引したが、午前七時ころから亡幸は三八・八度に発熱し、肺雑音も増強した。同日午前七時一五分には亡幸の心拍音が弱くなり、四肢にけいれんを起こし、全身にチアノーゼが出現したので、吉田医師は被告病院の看護婦に指示して、亡幸に対し酸素フラッシュ及び吸引を行わせた。そして、吉田医師は、亡幸が自発的に呼吸できず、そのための治療が被告病院ではできないものと判断し、周産期死亡率の低下を目的とした四国のセンター的な病院である香川小児病院に亡幸の転院を依頼した。同日午前七時四〇分亡幸の体温が三八度となり、時々無呼吸発作を起こし、呻吟した。そこで、吉田医師の指示で被告病院の看護婦が同日午前八時一〇分亡幸に止血剤K2を投与し、午前八時一五分血液中の炭酸ガスを中和するためにメイロンを投与し、安藤医師が午前八時三〇分亡幸の気管内にチューブを入れて酸素を直接肺内に送り込んだところ、その後は亡幸の状態が良くなり、口唇色も全身色も徐々に良好となり、さらに、午前八時五〇分五パーセントブドウ糖液五〇〇ミリリットルの点滴を行つたところ、午前九時四五分には亡幸の体温が三七・九度となり、けいれんもなくなり、午前一〇時三〇分には亡幸の体温が三七・四度、心拍数が一七八回、全身色が良好となつた。同日午前一〇時五〇分ころ香川小児病院から亡幸を搬送するための救急車が被告病院に到着したので、亡幸を右車に移し、午前一一時二五分気管内挿管によるバッキングをしながら香川小児病院へ亡幸を搬送した。

8  亡幸は、香川小児病院に搬入されたときには、体動及び自発呼吸がほとんどなく、筋緊張が低下し、末梢チアノーゼ、下顎ちく(漢字略)搦の症状が出現していた。そこで、同病院では亡幸を直ちにNICUに収容し、人工呼吸管理、輸液、強心剤、抗生物質、脳圧降下剤、抗けいれん剤などの治療による集中管理を行い、同月二一日から二三日に高ビリルリン血症を合併したため光線療法も行つたところ、同月三〇日ころには呼吸循環はほぼ安定したが筋緊張の低下は持続し、体動は乏しく、吸てつ反射も認められなかつた。なお同月二五日に亡幸の頭部CT検査をした結果、脳全般にロー・デンシィティを認めた。同年一〇月二日、亡幸の自発呼吸が十分となつたため、人工呼吸器を離脱し、気管内チューブを抜いたが、この頃からけいれん様の動きがしばしば出現したので、抗けいれん剤が継続して投与された。亡幸は同年一〇月中旬、一一月中旬、一二月中旬に反復して呼吸器感染症を起こしたので、そのたびに抗生物質の投与を受け、呼吸管理をされることもあつた。亡幸は、同年一二月ころに至つても、依然として体動及び音光に対する反応が乏しく、吸てつ反射も弱かつたが、時々啼泣するようになつた。亡幸は、昭和六一年一月下旬からボイタ法トレーニングを開始したが、抵抗力が弱くて感染しやすいため、予定どおり進まなかつた。なお、亡幸は、鼻腔チューブによりミルクを飲んでいた。亡幸は、同年三月六日、家庭による保育が可能となつたため、同病院を退院した。

9  原告澄子は、亡幸が香川小児病院を退院したのち、亡幸の呼吸器に溜まつた分泌物を吸引したり、鼻から胃に通したチューブによつてミルクを与えるなどして亡幸の看護をしていたが、亡幸がぜい鳴及びけいれんを頻繁に起こして看病しきれなくなつたため、同年四月三〇日亡幸を愛媛病院に入院させた。そして、亡幸は昭和六二年一二月一六日死亡した。

三  亡幸の胎児徐脈及び死因について

1  胎児(亡幸)徐脈の原因について

(一) 胎児(亡幸)が昭和六〇年九月一八日午前一〇時三〇分ころから一一時二〇分ころまで陥つた高度の徐脈の原因は、前記認定事実、《証拠略》を総合すれば、原告澄子がオキシトシンに対する過敏反応により急激な低血圧又は一過性の循環不全を起こし、そのため原告澄子の子宮胎盤血流量が急激に減少し、胎児(亡幸)が急性の低酸素状態に陥つたためである、と認めるのが相当である。なぜなら、鑑定によれば、オキシトシンを投与すると、極めて稀にα及びβアドレナリン受容体を有する血管の広範囲な拡張によるとされているアナフィラキシー反応という過敏反応が起こるとされていること(これに反する証拠はない。)、前記認定のとおり、胎児(亡幸)の右徐脈は原告澄子の体内にオキシトシン製剤であるアトニンーOが入つて間もなく現れていること、右徐脈が現れたころに原告澄子が低血圧又は一過性循環不全を起こした状態(急に身体から力が抜ける、気が遠くなる、息苦しくなるなど)を呈していること及び原告澄子が右状態から回復してしばらくしてから胎児(亡幸)の右徐脈も回復していること並びに後記認定のとおり胎児に徐脈を起こす他の原因が本件では認められないか、あるいはその可能性が低いことなどからである。

なお、被告は、胎児(亡幸)に右徐脈が現れたときには、まだアトニンーOは原告澄子の体内には極めて微量にしか入つていなかつたから、オキシトシンに対する過敏反応による原告澄子の低血圧又は一過性循環不全により胎児(亡幸)が低酸素状態に陥り、そのため右徐脈が現れたとは考えられないと主張する。しかし、《証拠略》を総合すれば、過敏反応はわずかの量でも起こりうるものであるから、右主張は採用しえない。

(二) 前記鑑定によれば、分娩中に突然出現して長時間持続する胎児徐脈の原因としては、<1>急激な母体側子宮胎盤血流量の減少による急性の胎児低酸素状態、<2>胎盤における換気不全による急性の胎児低酸素状態、<3>臍帯血行障害に基づく胎児の急性循環不全及び低酸素状態、<4>胎児の急性出血による循環不全及び<5>それらを伴わない胎児の急性循環不全などを挙げることができる。しかし、以下に述べるとおり、胎児(亡幸)の前記徐脈の原因としては、<1>の急激な母体側子宮胎盤血流量の減少による急性の胎児低酸素状態を除けば、いずれの原因も疑問が残る。

<1>の母体側子宮胎盤血流量が急激に減少する原因としては、子宮破裂、過強陣痛及び母体の低血圧又は循環不全が考えられる。《証拠略》によつても、子宮破裂を認める事情はない。過強陣痛については、オキシトシンの投与によつて生じたものであれば、通常点滴中止後数分で徐脈が回復するが、前記認定のとおり胎児(亡幸)の徐脈は点滴中止後五〇分ほど続いていたので、通常の過強陣痛とは認められず、また、過強陣痛があつたにもかかわらずオキシトシンを長時間投与し続けた場合もしくは過強陣痛のために子宮破裂を生じた場合には、点滴中止後も長期間徐脈が続くが、このような事情が認められないことは前記認定のとおりであり、さらに間けつのない持続的な強直性子宮収縮であるけいれん陣痛であれば、オキシトシンの余程の濫用又は過剰な産道の抵抗に対して強い陣痛が続くことにより生じるが、《証拠略》によつても、このような事情は認められないから、過強陣痛が原因であるとは認められない。鑑定によれば、本件における母体の急激な低血圧又は循環不全の原因としては、オキシトシンに対する過敏反応、仰臥位低血圧症候群、気管支ぜんそく、心室性不整脈が考えられるが、仰臥位低血圧症候群は体位の変換により容易に改善され、胎児に長時間影響を及ぼすことは少ないが、前記認定のとおり本件では胎児(亡幸)の徐脈が長時間続いており、《証拠略》によつても、原告澄子の急激な低血圧又は循環不全が本件において気管支ぜんそく及び心室不整脈によることを認めることはできない。

<2>の胎盤における換気不全による急性の胎児低酸素状態の胎盤における換気不全の原因としては、前記鑑定によれば、胎盤早期剥離が考えられる。しかし、《証拠略》によれば原告澄子には(常置)胎盤早期剥離がなかつたことが認められる(これに反する証拠はない。)から、原告澄子の胎盤における換気不全により胎児(亡幸)が急性の低酸素状態に陥つたとは考えられない。

前記鑑定によれば、<3>の臍帯血行障害に基づく胎児の急性循環不全及び低酸素状態により胎児が分娩中の一過性徐脈を起こすことはしばしばあるが、胎児(亡幸)に現れたような分娩の初期に高度な徐脈が長時間続くことは稀であり、頭位分娩で臍帯血行障害による徐脈が長時間続くものは臍帯の脱出や形態異常などが原因となつている。しかし、《証拠略》によつても、原告澄子に臍帯の脱出や形態異常があつたことを認めることはできない。また、被告は、原告澄子の胎盤からは臍帯付着部付近に四センチメートル×四センチメートルの絨毛血管腫があり、右絨毛血管腫による臍帯の圧迫が胎児(亡幸)に出現した徐脈の原因とも考えられると主張する。確かに、《証拠略》によれば、原告澄子の胎盤からは臍帯付着部付近に四センチメートル×四センチメートルの絨毛血管腫があつたことが認められ、一般に絨毛血管腫は臍帯血行障害の原因となりうることが認められる。しかし、前記認定のとおり、妊娠経過に異常がなく、九月一〇日行われたノンストレステストの結果も正常で、胎児の発育も正常であつたので、妊娠中には右絨毛血管腫による影響は少なかつたと考えられること、徐脈が出現したのが一度だけで、その後臍帯血行障害を示す変動一過性徐脈が全く出現していないこと、《証拠略》によれば、臍帯血管が右絨毛血管腫内を通過していないことなどから、右絨毛血管腫による臍帯の血行障害が胎児(亡幸)徐脈の原因となつた可能性は低い。したがつて、胎児(亡幸)の徐脈が臍帯血行障害に基づく急性循環不全及び低酸素状態であつたとまでは認められない。

<4>の胎児の急性出血による循環不全については、《証拠略》によつても、新生児期の亡幸に貧血が認められず、また血性羊水の所見もなく、さらに前記認定のとおり亡幸の前記徐脈が自然に回復していることなどから、胎児(亡幸)に急性出血があつたとは認められない。

<5>のそれらを伴わない胎児の急性循環不全については、《証拠略》によれば、亡幸の新生児期の検査で心臓に先天異常が認められず、その他亡幸に急性循環不全の原因となる特別の事情は認められないから、胎児(亡幸)にそれらを伴わない急性循環不全があつたとは認められない。

2  亡幸の後遺症と死亡原因について

(一) 前記認定の事実、《証拠略》を総合すれば、亡幸は、胎児中の前記低酸素状態により脳に障害を受け、そのため中枢性の呼吸抑制が気道の分泌物を増加させ、これが肺雑音(呼吸雑音)を起こし、また、脳の虚血に伴う脳浮腫が四肢のけいれんを誘発し、さらに、中枢性の呼吸不全が動脈血酸素分圧の低下を引き起こしてチアノーゼが現れたものと認めるのが相当である。そして、右障害がさらに亡幸の脳萎縮をもたらし、亡幸は死亡したものである。

(二) 被告は、亡幸に異常体質などの不測の要因があつたことも考えられ、また、胎児(亡幸)の徐脈は短時間で回復して正常な心拍数に戻つており、その後の心拍数に異常はなく、細変動も十分であり、娩出時のアプガールスコアも特に悪いものでもないから、亡幸が分娩経過中に低酸素性脳症を起こしたと考えることはできないと主張する。しかし、亡幸に異常体質などの不測の要因があつたことが窺える証拠はなく、また、前記認定のとおり、胎児(亡幸)の徐脈が回復するまでに長時間を要しており、その後の心拍数基線は細変動がないかあるいは少ない状態が続いており、娩出時のアプガールスコアも一分後は軽い仮死を示す六点であつたことなどから、被告の右主張は、その前提を欠き、採用しえない。

四  アトニンーOの使用の適否について

原告らは、安藤医師がアトニンーOの適応及び要約を満たしていないにもかかわらず、あるいはその使用方法を誤つてアトニンーOを使用した債務不履行ないしは過失があると主張し、被告はこれを争うので、以下検討する。

1  アトニンーOの適応について

(一) 妊娠満期について

原告らは、被告が原告澄子の分娩予定日を誤り、妊娠満期に達していない原告澄子に対しアトニンーOの投与による陣痛誘発を行つたと主張し、被告は分娩予定日を誤つていないと反論するので、以下検討する。

前記認定のとおり、原告澄子の月経周期が三〇日型の規則的なものであり、最終月経開始日が昭和五九年一一月三〇日であつたこと及び昭和六〇年二月二八日に行われた超音波を用いた胎児計測によれば、胎児(亡幸)の頭殿長値(CRL)が五九ミリメートルであつたことから、原告澄子の分娩予定日は同年九月六日であることが認められ、これに反する証拠はない。したがつて、安藤医師が原告澄子の分娩予定日を右同日と診断したことは相当であり、原告澄子に対しアトニンーOを投与した同月一八日は分娩予定日を一二日経過していたものである。

原告らは、原告澄子の第一子が分娩予定日を二八日超過し、また第二子が分娩予定日を一五日超過してそれぞれ出産したことをもつて原告澄子の妊娠週数は通常の四〇週より長く四二週程度であり、したがつて分娩予定日も同月二〇日ころであつたと主張する。しかし、第一子及び第二子の出産がいずれも分娩予定日を超過していたとしても、それだけで原告澄子の妊娠週数が通常よりも長かつたと認めることができない。しかも、《証拠略》によれば、ネーゲル法に基づく右計算は正しくなされており、かつ、超音波による診断もこれを裏付ける結果を示していることを考慮すれば、分娩予定日が同月二〇日ころであつたとする原告らの右主張は採用しえない。

(二) 胎盤機能不全について

原告らは、原告澄子に胎盤機能不全の徴候がなかつたにもかかわらず、安藤医師は原告澄子に対しアトニンーOを投与したと主張する。

前記認定のとおり、原告澄子のイースリースライドの測定値は、昭和六〇年九月六日及び一〇日がいずれも一ミリリットル当たり一〇マイクログラム以上二〇マイクログラム未満であつたのが、同月一三日が一ミリリットル当たり二〇マイクログラム以上と上昇し、同月一七日には一ミリリットル当たり一〇マイクログラム以上二〇マイクログラム未満と下降しており、《証拠略》によれば、イースリースライドの測定値は胎児及び胎盤の機能を検査するものであつて、その値が一ミリリットル当たり一〇マイクログラム未満を異常域とし、一ミリリットル当たり一〇マイクログラム以上を正常域とするが、一ミリリットル当たり二〇マイクログラム未満であれば注意して経過観察することとされており、鑑定によれば、尿中エストロゲン値一〇以上二〇未満を通常胎盤機能不全の警戒域としている。また、前記認定のとおり、同月一七日には原告澄子の胎盤の石灰化が認められている。さらに、《証拠略》によれば、分娩後に原告澄子の胎盤を検査したところ、石灰沈着、変性及び壊死を生じていたことが認められ、これに反する証拠はない。したがつて、前記イースリースライドの測定値及びその変動経過、胎盤の石灰化などを考慮すれば、同月一七日原告澄子には胎盤機能不全の疑いがあつたというべきである。

(三) 前記認定のとおり、原告澄子は昭和六〇年九月一七日には分娩予定日を一二日経過しており、しかも原告澄子には右時点で胎盤機能不全の疑いがあつたことをも考え合わせると、同月一八日に分娩誘発の適応があるとした安藤医師の判断には相当の理由があつたというべきであり、更に鑑定によれば、現段階では過期産(妊娠四二週〇日以降の分娩で、一般に児の予後が悪い。)を防ぐためにそれに近づくと分娩誘発を行うべきか否かについては意見の一致が得られていないことから、安藤医師が同日原告澄子に対してなした分娩誘発を行う決断は不適切であるとはいえないというべきである。そして、《証拠略》によれば、オキシトシンは、適用が広く、どんな誘発にも使用できるのであるから、安藤医師が右分娩誘発法としてオキシトシン製剤であるアトニンーOを使用したことが不適切であるとも認められない。

2  アトニンーOの要約(子宮頚管の未成熟)について

原告らは、アトニンーOは子宮頚管が十分に成熟していなければ投与してはならず、原告澄子の子宮頚管は昭和六〇年九月一八日未成熟であつたから、安藤医師は原告澄子に対しアトニンーOを投与してはならなかつたにもかかわらず、これを投与したと主張し、被告は原告澄子の子宮頚管が同日には成熟していたと反論するので、以下検討する。

前記認定のとおり、昭和六〇年九月一八日の安藤医師の原告澄子に対する内診によれば子宮膣部は二指通じある程度軟らかく、展退が三分の一程度、児頭の可動性がない状態であつた。ところで、《証拠略》によれば、分娩誘発の実施の要約(計画分娩の場合)の一つとして母体がすでに分娩準備状態にあることを挙げており、ことにオキシトシンによる分娩誘発では頚管が十分に成熟していることが望ましく(もし成熟していなければ、他の方法による前処置が必要)、成熟していないと誘発効果が急速に落ちること、現地広く行われている分娩準備状態を判断する臨床的指標の一つとして頚管の成熟状況を挙げていること、頚管が軟化し、伸展性が著しく増加してくる現象を頚管の成熟化と呼び、その所見としては、<1>子宮膣部が柔軟であること、<2>子宮口が二ないし三センチメートル(二指)以上開大していること、<3>頚管が三分の一又はそれ以上短縮していること(展退度三〇パーセント以上)、<4>子宮膣部の位置が膣の中央あるいは恥骨よりの前方にあることなどであるとされている。以上の事実を考え合わせると、前記安藤医師の内診所見によれば、前記<1>から<3>までの頚管の成熟化の所見を満たしており(<4>については不明ではあるが)、右時点で原告澄子の子宮はほぼ成熟していたといつてよい。したがつて、原告澄子の子宮頚管が未成熟であるにもかかわらず、アトニンーOを使用したとする原告らの主張は採用しえない。

なお、前記認定のとおり、昭和六〇年九月一七日の原告澄子の内診所見の判定が四点(硬度、展退、位置及び開大がいずれも一点、固定が〇点)であり、同月一八日午前一〇時ころの看護婦による原告澄子の内診所見の判定が一ないし五点(硬度が一点、位置及び固定がいずれも〇点、展退及び開大が記載なし)であるところ、原告らはこれらの内診所見が原告澄子の子宮頚管の未成熟であることを示すものと主張する。しかし、《証拠略》によれば、右成熟度の点数は梅沢の頚管成熟度判定表によるものと思われるが、右判定表による場合何点以上であれば成熟したといえるかが明確に示されておらず、また右点数が頚管の未成熟を示すものであるとしても、右点数の基礎といつた所見(同月一八日のもの)自体が安藤医師の所見と異なつており、直ちに採用しがたいものであるから、右点数をもつて原告澄子の子宮頚管が未成熟であるとする原告らの主張は採用しえない。

3  アトニンーOの使用方法について

(一) 同時使用の禁止

原告らは、プロスタグランディンF2α製剤であるプロスタルモン・Fとオキシトシン製剤であるアトニンーOとを同時に併用して投与してはならず、かりにこれらを併用して投与する場合には、観察を十分に行うべきであるにもかかわらず、安藤医師は原告澄子に対し漫然とこれらを併用して投与したと主張し、被告はそれらの併用は許容されており、十分に注意して投与したと反論するので、以下検討する。

《証拠略》(図説臨床産婦人科講座第二八巻 診療の安全と対策)では、オキシトシンとプロスタグランディンを同時に使用しないこととされており、また《証拠略》(産婦人科の世界 第三三巻 特集/子宮収縮の臨床 「子宮収縮剤の移り変わり」)では、相乗効果を狙つてオキシトシンとプロスタグランディンを同時に使用することがあるが、胎児仮死ないし死亡、子宮破裂などを起こすことがあるので、そのような使用はやめるべきであり、行うときは慎重な管理を必要とすることとされており、《証拠略》(アトニンーO、プロスタルモン・Fの効能書)では、分娩誘発の目的でアトニンーOをプロスタグランジン製剤と併用する場合及びプロスタルモン・Fの使用後、オキシトシン注射液を追加静脈内投与する場合は、いずれの場合も異常収縮に注意し、観察を十分に行い慎重に投与することとされており、さらに《証拠略》によれば、オキシトシンとプロスタグランディンとは、作用機序が異なるため、子宮収縮のコントロールを難しくするので、その同時使用は避けるのが望ましいとされている。他方、《証拠略》では、その併用は子宮収縮を誘発または促進する力が強いため、一般病院では行つているところもあるので、現段階で右同時使用が絶対的禁忌とまではいえないとしており、《証拠略》では、右同時使用の効果と副作用についての研究を基にこれを推奨する報告がなされている。以上の事実を考え合わせるとオキシトシンとプロスタグランディンとを同時に使用することが望ましくはないということはいえるとしても、これらを併用してはならないとまでは認めることができないというべきである。そして、右同時使用の際には、異常収縮に注意し、観察を十分に行い慎重に投与するを要するとしても、前記認定のとおりの岡本助産婦の点滴の操作及び《証拠略》により認められる分娩監視装置の装着などの事実に照らせば、安藤医師らは、異常収縮に注意し、観察を十分に行い慎重に投与していた、と認められる。

したがつて、アトニンーOをプロスタルモン・Fと併用して原告澄子に対し投与していた安藤医師に不適切な点は認められない。

(二) 分娩誘発剤の点滴速度

原告らは、アトニンーOの点滴を一分当たり一〇滴以上から始めるべきではないにもかかわらず、安藤医師は原告澄子に対し右点滴を一分当たり二〇滴から始めたと主張し、被告は、右点滴を一分当たり二〇滴から始めることも許容されていると反論するので、以下検討する。

鑑定によれば、分娩誘発のためのオキシトシン投与の開始速度は毎分三ミリ単位から一〇ミリ単位が適当とされている。ところで、前記認定のとおり、アトニンーO五単位を五パーセントのブドウ糖液五〇〇ミリリットルに混和した点滴を原告澄子に対し毎分二〇滴の速度で静注し始めたのであり、《証拠略》によれば、点滴一滴が〇・〇五ミリリットルに相当するので、オキシトシンを毎分一〇ミリ単位で注入し始めたこととなる。したがつて、これは前記開始速度の上限であり、不適切な速度であるとはいいがたい。

なお、《証拠略》では、アトニンーOの点滴静注法による場合にはオキシトシンの点滴速度を毎分一ないし二ミリ単位から開始するとしており、《証拠略》では、胎児への影響を考えればオキシトシンは毎分約四ミリ単位から注入を開始するとしており、《証拠略》では、オキシトシンの注入は毎分一・五ミリ単位から五ミリ単位で開始するとしている。しかし、他方、《証拠略》では、点滴速度は毎分五〇ミリ単位を越えないようにすることとしており、《証拠略》では、胎児への影響を考えれば多くても毎分約二〇ミリ単位以下にとどめることとしており、《証拠略》では、安全限界が毎分二〇ミリ単位以下としていること、同号証によれば、一般には毎分五ないし一〇ミリ単位の注入速度から点滴を開始する方法が普及していることなどをも考え合わせると、《証拠略》に記載されている各オキシトシン注入開始速度は一つの望ましいオキシトシン注入法であるに過ぎないというべきであつて、これに反する注入開始速度を行つたからといつて直ちに過失ないし債務不履行となるものではないというべきである。

(三) 以上のとおり、アトニンーOをプロスタルモン・Fと併用して毎分一〇ミリ単位の開始速度で原告澄子に対し投与した安藤医師の行為に不適切な点はない。

4  前記認定のとおり、安藤医師が原告澄子に対しアトニンーOを投与するにつき、原告の主張するような過失及び債務不履行は認められず、その他にもその適応及び要約に違反し、あるいはその使用方法を誤つてアトニンーOを原告澄子に投与した事実も認められない。したがつて、安藤医師が昭和六〇年九月一八日原告澄子に対しアトニンーOを投与したことにつき過失及び債務不履行は認められない。

五  帝王切開術について

1  過失について

原告らは、胎児が低酸素状態に陥り、体位変換、酸素吸入、分娩誘発剤の点滴の中止及び糖質輸液の投与などの措置をとつても胎児の状態が改善されない場合には胎児が仮死状態に陥つてから二〇分以内に帝王切開術を行うべきであり、六〇分を超えてはならないから、安藤医師は胎児(亡幸)に徐脈が発生した一五分ないし二〇分後である午前一〇時四五分ないし五〇分ころには帝王切開術を行う決断をし、右発生後二〇分ないし四〇分ころまでには亡幸を娩出させるべきであつたにもかかわらず、帝王切開術を行わなかつた過失ないし債務不履行があると主張し、被告は、右時間内に胎児(亡幸)を帝王切開によつて娩出させるべきであつたとの主張を争うので、以下検討する。

《証拠略》では、<1>心拍変動パターンが明らかな低酸素型で次の陣痛発作までに回復する場合、<2>基準心拍数レべルが一分間当たり一〇〇ないし一二〇回又は一六〇ないし一八〇回の場合、<3>末梢血のペーハーが七・二〇から七・一五である場合(とする方が安全)、<4>羊水混濁が2ないし3の場合の以上いずれかの二つ以上を満たす場合又は一つでも高度と判定される条件があるような場合には総合判断により遂娩を行うべきであり、また<1>心拍変動パターンが高度低酸素症で五分を越えて持続し回復しない場合(最も重症を考慮すると五分前後で判断してよい。)、<2>基準心拍数レべルが一分間当たり一〇〇回以下で五ないし一〇分間持続する場合、<3>末梢血のペーハーが七・一五以下である場合、<4>ペーハーの変動が五分間当たり〇・〇五以上である場合、<5>羊水混濁が3の場合(この項だけは単独で踏み切る必要はない場合も少なくないので注意する。)のいずれか一つが認められる場合には急速遂娩に踏み切るべきであるとしている。《証拠略》では、右総合判断で遂娩を行う場合の<1>、<2>、<4>の二つ以上を満たす場合には急速遂娩の準備を、右急速遂娩に踏み切る場合の<1>、<2>、<5>のいずれか一つが認められる場合には急速遂娩を実施すべきであるとしている。《証拠略》では、<1>変動一過性徐脈が高度になり、一過性徐脈の持続時間が一分間以上で、最も減少した点の心拍数が一分間当たり七〇回未満となるとき、<2>変動一過性徐脈から、さらに持続的な徐脈に移行して回復が見られず、強い臍帯圧迫が考えられるとき、<3>遅発一過性徐脈で、細変動消失を伴つているとき(心拍数基線細変動が十分保たれているときには、約六〇分以内に娩出すれば、あまり障害はみられない。)、<4>一過性徐脈がなくても、心拍数基線細変動が失われて、心拍数図が完全に平滑になつているときなどは急速遂娩をしなければならず、強い臍帯圧迫があつて高度一過性徐脈から持続的な徐脈へ移行しているときなどは直ちに帝王切開などの急速遂娩を実施することが必要であり、子宮胎盤循環障害による遅発一過性徐脈ではもし過強陣痛に起因するときはまず子宮収縮を弱めることが第一であり、その他の遅発一過性徐脈では心拍数基線細変動が失われているときには余裕がなくて急速遂娩の必要があるとされている。《証拠略》では高度変動一過性徐脈から持続的な徐脈へ移行する傾向のあるとき、遅発一過性徐脈と心拍数基線細変動の消失とが合併する場合及び正常状態から急激な徐脈へ移行するときは経母体治療を行いながら、直ちに急速遂娩を行うべきであり、比較的緩慢で軽症でも、経母体治療が無効で悪化に向かうときは急速遂娩を行うべきである(重症の胎児仮死では一〇分以内、それ以外は三〇分以内の娩出であれば児死亡を起こしにくい。)とされている。《証拠略》では、遅発性徐脈が出現してから六〇分以内に分娩を終わるべきであるとしている。ところで、前記認定のとおり、昭和六〇年九月一八日午前一〇時三〇分ころから胎児(亡幸)の心拍数が低下して一分間当たり六〇ないし八〇回となり、その後安藤医師らが経母体治療を施したが、回復しなかつたため、午前一〇時四五分ころ、帝王切開の準備を始めたところ、午前一一時一分ころから胎児(亡幸)の心拍数が回復の兆候を示し始め、午前一一時五ないし六分ころに一分間当たり一〇〇回を超え、その後しばらく一分間当たり一〇〇回を上下したのち、同日二一分ころからは一分間当たり一〇〇回を下ることはなくなり、同時二五分ころに一分間当たり一二〇回を超え、同時三一分ころ以降は一分間当たり一四〇ないし一六〇回を維持するようになつたが、午後〇時五五分ころまでは細変動の少ない状態が続き、午後一時三五分ころ以降はむしろ頻脈が続いた。以上の胎児(亡幸の胎児心拍数の変動状態に、前記認定の胎児の心拍数の変動と急速遂娩の時期に関する文献、証人岡井崇の証言及び鑑定とを対比するならば、安藤医師は、遅くとも胎児(亡幸)の徐脈が始まつた時から二〇分を経過した午前一〇時五〇分ころまでには帝王切開を行う決断をし、それを実施すべきであつたというべきである。なぜなら、右胎児(亡幸)に生じたような高度の持続性徐脈の場合には、経母体治療を行つても回復しなければ、通常一〇分程度の経過で胎児仮死として帝王切開などの急速遂娩を行うべきであるが、本件では右徐脈の原因が不明であつたために、安藤医師が自然の回復を期待して、また原告澄子が前二回自然分娩を行つており、安藤医師が今回もできるだけ原告澄子に自然分娩を行わせてあげたいと考えたため、通常より急速遂娩を決断するまでの時間を多く要するのもやむを得ないと考えられるからである。

なお、被告は、胎児(亡幸)の心拍数が午前一一時ころには回復を始め、午前一一時一八分ころには細変動も回復し始め、午前一一時二二分ころには胎児の心拍数は正常域まで回復し、経膣分娩が可能な状態となつたため、帝王切開をする必要がなくなつたと主張する。しかし、《証拠略》によれば、胎児心拍数の改善を認めた場合でもこれに安心することなく、三〇分以内に娩出させ、六〇分を越えないようにするとされている。したがつて胎児心拍数の改善を理由として、帝王切開を実施する必要はないとする被告の右主張は採用しえない。

2  因果関係について

被告は、かりに帝王切開をすべきであつたとしても、帝王切開を行つても亡幸に脳障害が起こる可能性が否定できないから、因果関係がないと主張し、原告らはこれを争うので、以下検討する。

《証拠略》によれば、帝王切開を決断してからその準備を経て胎児の娩出までには少なくとも二〇分を必要とすることが認められ、前記認定のとおり帝王切開を決断すべき時間が胎児の徐脈が始まつてから二〇分を必要とするので、結局、胎児の徐脈が始まつてから胎児(亡幸)の娩出までに四〇分(午前一一時一〇分ころ)を必要とすることとなる。ところで、前記認定のとおり胎児(亡幸)の徐脈が始まつてから三〇分ころ(午前一一時ころ)まで一分間当たり六〇ないし八〇回の状態が続き、約四〇分経過した午前一一時一〇分ころには一分間当たり一〇〇回を上下していたものである。したがつて、かりに胎児(亡幸)の徐脈が始まつてから四〇分後に前記のとおり帝王切開により亡幸を娩出したとしても、その間胎児(亡幸)に低酸素状態が持続していたこととなり、このような場合、《証拠略》によれば、胎児(亡幸)の脳に不可逆的な障害が起こつてしまう可能性が強く、せいぜい後遺症が軽減した可能性が認められるにすぎない(これに反する証拠はない)。したがつて、安藤医師が胎児(亡幸)の徐脈が始まつてから約二〇分を経過した午前一〇時五〇分ころに帝王切開を決断したとしても、亡幸の後遺症が軽減され、死亡を免れたことを認めるに足る証拠はない(後遺症の軽減も可能性にすぎないので、認めることまではできない)から、安藤医師が帝王切開をしなかつたことと亡幸が後遺症を負い、死亡したこととの因果関係はないといわなければならない。

なお、原告らは、胎児(亡幸)に徐脈が出現した後二五ないし四〇分で胎児(亡幸)が娩出されていれば、全く後遺症を残さない健常児として出生することも十分に期待できたと主張し、《証拠略》によれば、岡井崇医師がこれまで経験した分娩時に突然発生した胎児徐脈あるいは胎児一過性徐脈により胎児仮死と診断し、緊急に帝王切開を実施して分娩させた児のうち死亡及び重篤な後遺症を残した症例は、右胎児仮死の原因が胎盤早期剥離や子宮破裂などの重篤な原因によるものでなければ、極めて少ないとしている。しかし、《証拠略》によれば、右胎児仮死と診断して緊急に帝王切開を実施して分娩させた症例においては、通常帝王切開を実施するまでの間に胎児が胎児徐脈あるいは胎児一過性徐脈から回復してくるのであり、右状態が持続することは少ないことが認められ、これに反する証拠はない。そして、通常帝王切開を実施するまでの間に胎児が徐脈あるいは一過性徐脈から回復するために帝王切開を実施して分娩させた児に死亡及び重篤な後遺症を残した症例が少ないと考えられるのであり、本件のごとく帝王切開を実施して娩出させたときまで高度の胎児徐脈が持続している場合には、必ずしも児に死亡及び重篤な後遺症を残した症例が少ないとはいえない。したがつて、原告らの右主張は採用しえない。

また、原告らは、本来なすべき帝王切開を行わなかつた被告が、右行為を行つたとしても後遺症はやはり残つたかもしれないとの仮定の主張をして免責あるいは責任の軽減を図ろうとすることは許されないと主張する。しかし、前記認定の安藤医師らの行為などに照らして、被告が因果関係の不存在等を主張して免責及び責任軽減を図ることが許されないとまでいえる事情は認められない。

六  救急措置について

原告らは、安藤医師及び吉田医師は亡幸が重度の脳障害を残して仮死状態で生まれてきたのだから、亡幸に対し救急措置をすべきであつたにもかかわらず、気管内挿管の時期が遅れるなどの救急措置が不十分であつたと主張し、被告はこれを否認するので、以下検討する。

前記認定のとおり、亡幸の娩出一分後はアプガールスコアが六点で軽度の仮死であつたが、二分後には八点にまで回復しているので、吉田医師が特に亡幸に対し治療行為や転院を行わなかつたとしても、そのことが不適切であつたとはいえず、むしろ念のために亡幸を保育器に収容し、酸素三リットルを流している。そして、その後亡幸の容体は完全に良好とはいえないまでも、比較的落ち着いた状態であつたのであり、吉田医師が特に亡幸に対し治療行為や転院を行う必要は認められない。ところが出生当日の午前七時ころに急に亡幸は三八・八度に発熱し、肺雑音も増強し、午前七時一五分には心拍音が弱くなり、四肢にけいれんを起こし、全身にチアノーゼが出現したこと、そこで吉田医師は看護婦に指示して亡幸に対し酸素フラッシュ及び吸引を行わせ、さらに亡幸が自発的に呼吸できないことに対する治療が被告病院ではできないものと判断し、香川小児病院に亡幸の転院を依頼したこと、午前七時四〇分亡幸の体温が三八度となり、時々無呼吸発作を起こし、呻吟したので、吉田医師の指示で亡幸に止血剤K2を、血液中の炭酸ガスを中和するためにメイロンをそれぞれ投与し、また安藤医師が亡幸の気管内にチューブを入れて酸素を直接肺内に送り込んだこと、午前七時五〇分五パーセントブドウ糖液五〇〇ミリリットルの点滴を行い、午前一一時二五分気管内挿管によるバッキングをしながら香川小児病院へ亡幸を搬送したが、以上の事実のうち、吉田医師及び安藤医師が亡幸に対し採つた治療行為には、特に不適切な点は認められず、また香川小児病院への転院も適切なものである。

したがつて、気管内挿管の時期が遅れるなどの救急措置が不十分であつたとの原告らの主張は理由がない。

七  結論

よつて、その余の点について判断するまでもなく、本訴請求はいずれも理由がないからこれらを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九三条一項本文、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 八束和廣 裁判官 細井正弘 裁判官 牧 賢二)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例